蝶葬



 十三歳までに死んだ少女の魂は蝶々になるのです。

 私は着慣れない喪服に身を包み、少女の部屋にいました。臥せってばかりだった少女の部屋には、たくさんの本と裁縫道具がありました。壁には彼女が刺繍した花や風景が額縁に仕立てられ、飾られています。
 ベッドリネンは淡い桃色で、柔らかい色合いの花がプリントされていました。もう、部屋の主はこのベッドに身をゆだねる事ありません。
 少女の遺体は桐の柩に横たわっていました。彼女はちょうど、十三歳になる二日前に胸の病で亡くなりました。
 おしろいをはたいたように艶のない肌。幼げなおかっぱの髪。もう動かないはずの伏せられた睫は、怖い夢でも見ているように時々震えるのです。多分、窓から吹き込む秋風のせいでしょう。生きていた時も、少女はこんな風に何かに怯えながら眠っていました。
 底には真綿が敷き詰められ、柩の隙間には少女が好きだった月見草が入れられていました。月見草の花びらは湿度の高い夜の満月のように淡く頼りない色をしていて、おしべから溢れた花粉が少女の白い死装束を汚していました。
 柩は子供用で丈も短かめで、非力な私でもなんとか一人で担ぐ事が出来ました。
 私は柩を抱え、見晴しの良い丘に運びました。月の綺麗な晩なので、少女はきっと喜んでいるでしょう。
 崖下からひやりとした風が吹き上げ、少女の睫と月見草が揺れます。
 霜が降りたくさ原に柩を下ろし、蝶葬の準備をします。
 白い死装束を脱がせると長い病でずっと部屋に篭っていた少女の肌が露になりました。白い、白い肌です。冷えた夜風のせいか、私の肌は粟立ちます。
 母親と医者の前にしか晒した事のない少女の裸体は、幾人もの男を知っている郭の女よりも見る者の劣情を掻き立てるようです。その誘惑も恥じらいも浮かべない冷ややかな表情が、腹の奥に押し込んである私の情慾を沸き立たせました。
 私は死んだ少女の冷たいその陰りに陽根を捩じ込みたい衝動に狩られ、そんな自分を意外に思いました。そんな野蛮な感情や荒々しい振る舞いは、私が一番忌むものでしたから。
 しかし谷底から吹く冷たい風に当たり、私は我に返りました。幼くして逝った少女の純潔を守る為、神様が風を送り込んだのかも知れません。
 私は卑しい慾望を自戒し、胸の上で手を組みました。それから改めて、蝶葬に取りかかりました。
 まず、古い皮革の鞄に入れてきた瓶入りの蜜を取り出しました。養蜂場で特別にお願いして取り寄せた、月見草の蜜です。とろとろとした金色の液体が澄んだ硝子の瓶の中で月明かりに照らされていました。
 その金色の液体を、少女がまだ嬰児だった時の髪で作られた、細い筆に含ませます。頼りなげな毛髪に粘度の高い液体が絡まります。それを、少女の裸体に丁寧に塗りつけます。
 液体はとろりと肌の上に落ち、滑り落ちます。蒼白な唇に頬に、あばらの浮いた胸元に薄い腹に、蜜は少女の体に薄い被膜を作ります。
 すべての蜜を塗り終わる頃、目の前にぼんやりと光が見えました。一瞬、狐火かと思いどきりとしましたが、それはよく見知っている生き物でした。
 夜の夜中、蜜の香りに誘われ蝶がやってきたのです。それも帯状に列をなしながら、かなりの数の蝶が。
 月の夜空を背景に、蝶が少女の許へ、次から次へと飛来しました。
 私は空になった小瓶を手に、少し後退りました。美しく、恐ろしい光景でした。
 蝶は少女の体を覆い尽くさんばかりに集まり、柩はたちまち蝶で一杯になりました。無惨に摘まれた花のように蝶の羽は柩の中で蠢きます。
 どれほどの時間、その光景をただ見つめていたでしょうか。私は蝶を凝視したまま、動く事が出来ませんでした。目が乾き、喉が乾き、耳鳴りがしました。
 そこへ、風が吹きました。崖下から吹く風は強く、私は思わずよろめき、袖で顔を覆いました。はたはたと小さな薄いものが風に叩かれる音がします。
 目を開けると、蝶は風に舞い上げられていました。そして、やって来た時と同じように帯状に連なって飛んで行きます。月に向かい、ゆるい曲線を描きながら。その最後尾に、ふらふらと危なげな様子で飛ぶ、小さな蝶がいました。他の蝶とは違い、それだけが黄色い色をしていました。月見草の花びらが舞っているようでした。
 柩に視線を落とすと、そこには蜜に濡れた真綿が敷かれているだけでした。

   少女が生きている時話してくれました。古い本に書かれていたのだそうです。
 死んだ人の魂は、蝶々になって夜空に旅立つのだと。



 おわり

2003/12