地下室の花



 ステンドグラスの光は極彩色で、厳かというよりはグロテスクに空気を染めている。夕刻、私はいつも陽が長く差し込む眩しさで目覚める。
 私は教会の敷地から出る事が出来ず、夜毎墓から立ち上る燐光と追いかけっこをする。

 教会には地下室がある。重い鉛色の扉を開けると、一つ一つナンバープレートのついた部屋があり、小さな覗き窓があり、外側から鍵がかかる。牢獄だ。
 私は退屈凌ぎに地下をうろうろとしていた。私自身も囚人なのだ。
 牢獄には誰も囚われていなくて、一番奥の部屋には男の死体があった。ベッドも何もなくて、石の床に横たわっている。
 どうしてこの男は他の死体みたいに棺にも入れてもらえず、墓にも埋めてもらえないのだろう。
 最初、ただ眠っているだけだと思ったけれど、頬に触れると冷たかったし、息もしていないしぴくりとも動かなかった。
 あなたは死んでいるの?
 問い掛けてみたけど返答はなかった。
 男の身体は腐ってもいなければ干涸びてもいなくて、何か特別な薬品でも塗ってあるのかと思って、露になった男の鎖骨を嘗めてみたけど何も味はしなかった。
 ねぇ死んでるの? 死んでるの? って何度か問い掛けてみたけど男は瞼を閉じたままで、薄く微笑んでいる。

 教会の裏にはたくさんの墓標が並んでいて、石には色々文字が刻んであったけれど、私には読めない文字だった。
 墓標にはそれぞれ、花が添えられている。死人の為に手折られた花は、すぐにくたりと頭を垂れる。
 私はその花を少しずつ盗んで、地下室の男の前に持っていった。
 男の部屋は殺風景過ぎたし、私は退屈だった。
 花は地下の湿った空気の中だと、墓に置かれているよりは幾分長らえているみたいだ。
 白い花弁の金鳳花、産毛の生えた芥子、杏の香りがするプリムラ。アナベルは枯れてもまだ花の形を残している。リリウムは赤い花粉で男のシャツを汚し、蔓薔薇の棘は私の指を傷付けた。

 墓には絶えまなく花が供えられる。供物として捧げられた花は、誰にも愛でられなくてもそれを悲しんだりしない。
 男の部屋は腐った花と枯れた花と、これから腐る花とこれから枯れる花で一杯になっていく。
 花が朽ちる独特の臭気に、私は顔を歪ませながら、花を盗んでくる事をやめられなかった。
 天井近くに小さく開いた通気孔から、僅かに月の光が侵入して、男の頬を照らしている。青く着色された砂糖で作られたドラジェみたいに見えた。
 その頬を嘗めてみて、やっぱり甘くはなくて、ひんやりとした感触が舌に残った。男の肌は思っていたよりすべすべとしていて、その感触が心地よくて、もう一度彼の頬に唇を落とし、薄い皮膚の瞼も嘗めた。皮膚の下にころころとした眼球を感じる。
 男の顔は私の唾液で濡れて、先程よりも強く月の光を反射する。
 男の唇にもキスをする。唇もやっぱり冷たくて、でも他のどこよりも柔らかかった。
 男の唇が綻んだ様な気がして、私は驚いて身を引く。
 それは気のせいではなく、じっと見つめていると少しずつ唇は開き、次に瞼が動いた。
 瞳は黒くて濡れていて、真直ぐに私を見ている。男の容貌は、瞳を閉じていた時の印象よりも鋭く感じたが、声はゆったりと床を流れる様に低く穏やかだった。
「毎日花をありがとう、お嬢さん」
 動けないでいる私の腕を取り、男は私の手の甲にキスをする。 
 唇はもう冷たくなくて、生暖かい感触が手の甲から私の全身を駆ける。
 唇が離れた後も、その感覚は最初に触れた温度よりもずっと熱くなって、心臓は軋む程血液を送り出す。
 私は、今まで死体だと思っていた男から、初めて自分が生きている事を思い知らされた。

おわり

2002/9