Hold off



「ちょ、蹴るなや航。何そんな怒ってるん」
「うるさい」
 吐き捨てるように言って、航はもう一度佑介のふくらはぎを蹴った。
 自転車に鍵をかけながら、佑介は痛い痛いと笑いながら言う。大して痛くないくせに。
「こんな事で夜中にわざわざ呼び出すな。しかもなんやねんいきなり家まできて。俺、もう風呂入った後やったのに」
 自転車に乗り、ジャージにTシャツ姿で佑介が航の元を訪れたのは、もう零時近い時刻だった。
「しゃあないやんか、携帯なくしてんから電話もメールもできへんし」
「知るか。一人で探せ」
「夜の公園一人で歩くん、怖いやんか……」
「でかい図体で情けない声出すな。気色悪いんじゃ」
 航の悪態をへらへらと聞き流す顔は締まりがなく、小学生の時から変わってない。でも高校に入ってから急に背が伸びたし、運動神経はいいし、お調子者だけど大らかでいい奴だ。こんな間抜け面をしなければもっと女子にもてるだろうに。 「で、池の近くで落としたいうんは確かなんやろな?」
 溜め息混じりに訊くと、つんつんと短く切った髪をわしわしと掻き、佑介は頷く。
 公園は広い。中にはテニスコートが二面あり、池には貸しボートもある。公園は木を模した車止めでぐるりと囲まれていて、池の付近はさらに二メートルほどのフェンスが張られている。
 入り口から行こうとするとだいぶ迂回しなければならないが、目の前のフェンスを超えて場目的地はすぐだ。
 佑介は迷う事なくフェンスをよじ登り、軽々と向う側へ飛び降りた。白いシャツがふわりと膨らむ。仕方なく、航も後に続いた。足をかけるとカシャンとフェンスが揺れる。
「航、ほら。受け止めたるから」
 佑介は振り向き、航に向かって両手を広げる。
「何言うてんねん、どけ。余計危ないわ」
 航は佑介を追い払い、芝生の上に飛び降りた。
 街灯を頼りに周囲を見渡す。夜の公園は静かで、池にはスワンボートが二艘、寄り添って眠っていた。どこからか虫の声が聞こえる。
「で、どの辺?」
「ええと、夕方ローズちゃんの散歩してた時やと思うから、もうちょっと向こう……」
「何がローズちゃんや。あのでっかい熊みたいな犬やろ」
 ローズは佑介の家で飼っているニューファンドランドという大型犬だ。
「熊て、失礼やな。ローズちゃんはレディーやで。ただ、水遊び好きやから水見ると暴走するっちゅうか……今日は暑かったしな。十月や思て油断したわ。夏場は池の周囲には近づけへんかってんけどな」
 穏和で人懐っこいローズだが、一度遊びに夢中になると制御するのはたいへんだ。体重だって佑介と同じくらいある。
「で、引っ張り回されてる時に落としたんやな。じゃあ、夕方散歩したとこ歩きながら携帯鳴らしてみよか」
 航はハーフパンツのポケットから携帯を取り出し、佑介の番号を表示させた。暗い木立の中、ぽつんと青白い光が灯る。
「佑介、どの辺歩いてたん? ……何ぼさっとしてん」
 振り返ると佑介はぼんやりと街灯の下で突っ立っていた。もう一度名前を呼ぶと、はっとしたように小走りに近づいてくる。
「もう、お前の携帯やろが」
 追いついた佑介は、そのまま航の肩に顎を乗せた。短い髪がちくちくと耳に当たる。
「……ちょ、ひっつくな」
「航……なんか、ええにおい……」
「ああ、姉ちゃんのシャンプー勝手に使こたってん。マジックで名前書いたあんの見たらなんかむかついて」
 くん、と犬みたいに鼻を鳴らして、佑介は航の項あたりのにおいを嗅いだ。
「花のにおいや」
「ああ、ほら、CMでやってるやん。めっちゃ大袈裟なやつ」
「女の子の髪のにおい嗅いだ男が、お花畑で失神するやつ?」
「それそれ! たかがシャンプーで男の気ぃ惹こうなんてアホらしい」
「そうか? 近づいて花のにおいしたら、やっぱドキッとするし、そんな事まで気ぃ使こてるて、なんか可愛いやん」
「単純やな、お前」
 航は肩を竦め、まだしつこく鼻をくんくんとさせている佑介を軽く突き飛ばした。
 女の子は佑介が夢見てるほど可愛いものではない。がさつな姉に日々うんざりしている航は、佑介の能天気さが少し恨めしかった。
 航は唇を尖らせ、それでも佑介の携帯を探すために歩きながら何度も通話ボタンを押し、どこかで着信音が鳴っていないかときょろきょろした。
「何むくれてるん?」
 のんびりした口調で後ろをついてくる佑介に苛立ち、思わず言わなくていい言葉が口をついて出る。
「……智美、やっちゃったんだって。彼氏と」
 佑介が訊ねてくる前、智美から電話があった。携帯を握っているとその時の声が生々しく耳に甦る。
「ふうん。智美ちゃん、そんな事まで航に話すんや。相変わらず仲良しやなあ」
 あまり興味なさそうに佑介が呟く。智美は佑介と同じく航の幼馴染みだ。昔はよく一緒に遊んだけれど、最近では三人で会う事はない。智美は航にはよく電話やメールをよこすが、佑介にも同じようにしてるのかどうかはわからなかった。 「でも、智美ちゃんは航を信用して話したんやろ。そんなん、あんま人にばらしたらあかんやん」
 佑介は正しい。でも自分の言い分より智美をかばった事が不満だった。
「んな事、あいつは気にせえへんて。俺がまだなんおちょくりながら話しとったし。どうせそのうちお前にも言うやろ」
 思い出すと腹が立つ。聞きたくもないのろけ話。そして散々まだ童貞だという事をからかわれた。
「航は、智美ちゃんの事好きなん?」
「別に。ただの幼馴染みや、佑介かてそうやん。まあ、男できる前にいっぺんあのでかい乳揉んでみたいなあとは思てたけど」
 足音が止まる。沈黙がやけに長く感じた。何か言いたい事があるのかと、航は佑介の言葉を待った。
 なんで佑介はこんな真剣な顔をしているのだろう。暗い公園の中、街灯の灯だけで見る佑介の顔はいつもより陰影がくっきりして、見慣れた顔ではなくなってしまったような気がした。
「航は……好きなんや、智美ちゃんの事」
 ゆっくりと、確かめるように佑介が問う。何を言われるのかと緊張した航は、拍子抜けして息をつく。
「アホか。ちゃう言うてるやろ。好きやったら乳揉むだけで済ませるか。お前こそ、もしかして智美が好きなんか?」
「えっ。それはちゃうっ! 絶対ちゃうからっ」
「なんや? そんなむきにならんでも」
 暗いからよくわからないけど、心なしか佑介の頬が赤い。つられて、航もなんだか恥ずかしくなって顔が熱くなる。佑介相手に恥ずかしがる事なんて何一つないのに。
 わけがわからず、航は携帯に視線を落とし、もう一度佑介の番号をコールした。
「あ、今なんか聞こえたんちゃう? ほら、お前の着信音やん」
 小さく電子音が聞こえる。佑介は横着で着メロなんか設定せず、最初から携帯に入ってる着信音を適当に選んだだけの物だ。
 二人できょろきょろと辺りを見渡すと、池のほとりの茂みに、小さくグリーンの光が灯っていた。
「ああ、あそこや。そういやこの辺でローズちゃんが走り出して……」
 のんびりした口調は、もうすっかりいつもの佑介だった。でも航のほうはなんだか気分がもやもやした。智美の話なんか、するんじゃなかった。
「航、ちょお待て、航!」
 佑介の制止を聞かず、光と音を頼りに緩い傾斜に踏み出した。しかしその途端視界が横転する。
「うわ……っ」
 芝生にはちょうど窪みがあり、そこに足を取られて航は転んだ。柵にぶつかりそうになったが、佑介が抱きとめてくれた。
「そうそ。ここで俺もこけてん。ああ、それで落としてんな」
「はよ言えやアホ」
 安堵の息をつく。尻餅をついて服が少し汚れたけれど、怪我はしてないようだ。
「……佑介、なんだよ。もうええから放せ」
 佑介はまだ両手で航の身体を抱えている。
「ん……ええにおいやなあと思て」
 項に佑介の鼻先が当たる。吐息がかかり、ぞくりとして航は首を竦めた。
「嗅ぐな。吸うなアホ」
 胸の前に回された佑介の腕を軽くつねる。だが、離れてくれる気はないらしく、背中によっかかってきた。尻に硬いものが当たる。
「……アホか、なんやねんこんなとこで。智美の巨乳想像した?」
「ちゃうって…そんなんやない」
 少し苦しそうな呼吸。身じろぎすると更に強く身体を押しつけてきた。ぐいぐいと擦りつけるようにされ、頭の中がかっと熱くなる。 何を想像してこんなになったんだ。女の子の話をしていたからか?
「もう、放せって……佑介!」
 短く叫ぶと、ようやく佑介は腕を解いてくれた。振り返って、思わず航は股間に目をやる。そこは窮屈そうにジャージの生地を持ち上げていた。
「航……ごめん、どないしょ。我慢できへん」
 上ずった声で言い、佑介はジャージと下着を同時に下ろした。勢いよくペニスが飛び出し、航は狼狽えて後退る。
「うわ、そんなもん出すなこんなとこで……って、こんなとこですんな!」
 航の言葉など聞く余裕がないのか、佑介はペニスを扱き始める。
 佑介の勃起したペニスを見るのは初めてじゃない。でもやっぱり動揺してしまう事には変わりない。
「そんな嫌がる事ないやん。こないだ、見せっこしたやんか」
「そりゃ……したけど」
 親が留守だという佑介の家に遊びに行き、エロ話がエスカレートしてしまった。どんなふうに一人でするかを話した後、佑介は執拗に見せ合おうと迫ってきた。そして航はその言葉にうっかり乗せられたのだ。
 二人とも異様に興奮して、ティッシュが間に合わずに床に射精してしまった。その後二人一緒に掃除をしたが、照れくさいやらおかしいやらで、目が合う度に変な笑いがもれた。
 それは特別な絆のような気もしたし、秘密を共有する共犯者のような気分でもあった。でも、これで今までの関係が変わってしまうのではないかという怖れもあった。
「はよ済ませろ」
 溜め息混じりに言い、航は池に視線を逸らした。ぽつぽつと灯る街灯と月明かりが細波に映るのを見つめながら、ふいに思い出して佑介の携帯を拾ってポケットに入れた。そもそも、これを探しにきたのだ。
 別の事を考えてやり過ごそうと思うのに、嫌でも耳に入る。皮膚が擦れる音と佑介の荒い息。
 一体何に反応したんだ。さっき女の子の話をしたから? 大した話じゃなかったのに。
 何が佑介をこんなに興奮させてるんだろう。
 考えるとむかむかした。佑介の自慰につき合うために、風呂上がりなのに家から連れ出され、転んで尻を汚したのか。
「なあ……航、ちょっとだけ舐めて」
 航の気持ちなどつゆとも知らず、佑介は吐息混じりに言う。
「はあ?」
「ほんのちょっとだけでええから」
「嫌や何言うてんねんお前……ええからはよ出してまえ」
「……お願い、ちょっとだけ、なあ……」
「もぉ……しつこいな」
 それで早く帰れるならと、しぶしぶ身体を屈め、航は佑介の股間に顔を近づけた。汗のにおいがする。やっぱり舐めるのは抵抗があったが、なんとなく退くに退けなかった。舌を出し、先っぽをちろりと舐めてやる。
「うひゃっ……」
 息を呑む佑介。その息遣いに航も身体の奥がじわりと疼いた。
「なんちゅう声出すねんお前……」
「う。だって……」
 見上げると、佑介は荒い息をしながらそっと手を伸ばし航の髪を撫でた。
「なあ……気持ちええん?」
 もう一度訊くと、ぐいと頭を掴まれる。
「航……」
「っわ、ちょお待て佑介……っ」
 そこまでしてやるなんて言ってない。
 反論は声にならなかった。口腔深くにペニスを捩じ込まれ、むせそうになりながら航は佑介の腰に掴まった。
「……ぐ、うぁ、待っ……」
 ちょっと舐めるだけって言ったのに。文句を言おうにも頭をしっかり押さえつけられ、航はどう抵抗していいのかわからずにいた。
 ああ、ローズは佑介に似たのだ。暴走すると止まらない所。大きくて黒い犬の無邪気な表情を思い浮かべながら、顎が痛いのを我慢してくわえ続けた。舌と上顎に擦りつけられる佑介のペニスは硬く、大きかった。
「んっ、ふ…………」
 唇の隙間から唾液が溢れ、顎を伝っていく。生温い感触がシャツの胸元に滴り落ちた。
 佑介は夢中で腰を動かしている。苦しかったけれど、佑介が気持ち良さそうにしてるならまあいいやとも思った。熱があるみたいに頭がぼんやりする。
 航は佑介の動きに合わせ、ぎこちなく舌を這わせた。その度に佑介は低い声で呻く。くわえながら聞くその声は生々しく身体中に響き、鳥肌が立った。
「なあ、なあ、顔にかけたい。かけてええ?」
 嫌だそんなの。そう訴えるように航は佑介を見上げた。瞳に涙が滲む。
「出そう……なあ、ええやろ、航……」
「んん……あ、やだ……っ!」
 やっと唇を解放され声が出た途端、顔の上に熱いものがかかった。どろりと頬を流れ落ちていく。口の中にも苦い味が広がり、航は顔をしかめる。
「うあ……っ。も、何すんだよっ!」
 咳き込みながら佑介の胸を叩いた。俯くと草の上に白い液がぽたぽたと落ちる。
「ごめん。でも……お前も勃ってるやん」
「え……」
 言われて初めて、航は自分の身体の変化に気づいた。薄い部屋着のハーフパンツの中でしっかり硬化しているペニスを、思わず両手で隠して俯いた。
「なあ……俺のしゃぶって興奮したん?」
「そんなわけあるか。佑介のアホ」
「なあ、航……」
 睨みつけてやろうと顔を上げると、がばっと抱き締められた。
「え? え……? なに?」
 ふいの事にきょとんと目を丸くする。佑介は濡れた航の頬を親指で拭い、それから唇を重ねてきた。ぬるりと舌が入ってくる。舌先はゆっくりと唇の内側を辿り、歯列を割る。佑介の舌は丹念に航の口腔内を舐めた。それからゆっくりと航の舌を吸う。濡れた音を立てながら、何度も佑介の舌が閃いた。
「もう…何すんねんお前は……」
 まだ自分の精液が残る唇にキスをするなんて。呆然としながら、航はずきずきするペニスをぎゅっと押さえる。
「まずいな、やっぱ。ほんまごめん」
 そう言って佑介は着ていたTシャツを脱ぎ、それで航の顔を拭いた。
「わ、ええってそんなん。顔洗うから。……ええて言うてるやろ! 汗くさいんじゃ!」
 乱暴に言い放ち、佑介を突き飛ばす。これ以上何かされたら、今度は航のほうが暴走してしまいそうだった。
「うん、そか……。ごめん。ごめんな」
「顔、洗うから。トイレ……」
 勃起したまま歩くのは、恥ずかしくて情けなくて泣きたかった。ようやく見つけた公園のトイレに逃げるように駆け込み、個室に入った。慌ててハーフパンツと下着をずり下ろし、ペニスを握る。
 頭の中に描くのは、さっき見た佑介の半裸。彼のペニスを頬張った事。荒い息遣いと汗のにおい。それとキス。初めてだった。
 思い出すと苦しい。でもどこが苦しいのかよくわからなかった。
 ほんの数回擦っただけで航は射精した。便器の中に白い液体が散る。
「何やってるんやろ、俺……」
 足元がふらつき、航はバランスを崩してトイレのドアに後頭部をぶつけた。
「すっきりした?」
 トイレを出ると、佑介はもう何事もなかったような顔をしている。上半身裸で、片方の手には水道で洗ったTシャツ持っていた。おかしな格好だ。
「うっさいわアホ。ああもう、喉がいがいがする。ジュースおごれ、ジュース」
 まだ重く痺れたような下半身の感覚をやり過ごそうと、航はベンチに座った。余計な事を考えるとまた勃ちそうで、必死で今し方の出来事を頭の中から追い出そうとする。
「ああ、うん……ちょお待って」
 佑介は罪悪感を感じてるのかこくこくと頷き、自販機まで走って行く。しかし、尻ポケットを探った後、すごすごと戻ってきた。
「ごめん、財布落としてもうた……」
「……ええ加減にせえよお前……」
 呆れて怒る気力も起きない。航は腕組みをし、記憶を辿った。
「いくら入ってたん?」
「五百円くらい」
「他に何か入れてたか?」
「いや、金だけや」
「そうか。んじゃ、帰ろ」
 ポンと膝を叩き、航は立ち上がる。これ以上つき合ってられるか。
「ええっ。そんな、一緒に探してや」
 きた道を戻る航の後ろを、情けない声で訴えながら佑介がついてくる。
「お前の財布、安物の上にもう古くてぼろぼろやったやんか。さっき口貸したった代金や思て諦めろ」
 振り返らないままそう諭し、一呼吸してからつけ加えた。
「来月の誕生日に、新しいの買ってやるから」
「ほんま?」
 佑介は航を追いこし、顔を覗き込んで訊ねる。
「安いやつな。二千円以内」
 溜め息混じりに答えながら、佑介の手に携帯を返してやった。
「ああ忘れてた」
「お前な……」
 唖然として立ち止まる。
「ほんっま、アホやな」
 言ってから、急に笑いが込み上げてきた。最初佑介は何故笑われているのかわからない様子だったが、すぐにつられて笑った。
 笑い出すと何もかもがおかしくて、二人は笑い転げながら公園を走る。上半身裸のまま走り回る佑介の姿は滑稽で、息が苦しくなるくらい笑った。
   だけど再度フェンスに昇る頃には笑いは治り、心の中は静かだった。きた時と同じように佑介は腕の中へ飛び込めと両手を広げ、航はそれを冷たく一蹴した。
「なあ、佑介。彼女作ったら? 智美の学校の子、紹介してもろたらええやん」
 佑介の自転車のステップに足をかけながら、航は言ってみた。セックスへの興味が佑介を暴走させるなら、正しい方向へ導いてやるのも友情かと思ったからだ。
 佑介は女の子に優しいし、彼女ができればその子を大事にするだろう。そうしたら、航にバカな事を要求する事もなくなる。
 でも言ってみて、自分の言葉に傷つく自分に、航は狼狽えていた。
「い、いらんわ、そんなん……」
「何怒ってんねん。変なやっちゃな」
 拗ねる佑介の声に少し安堵し、航はそっと息をつく。
 まだ考えたくなかった。ただ、小さい頃のように佑介と走り回って笑い転げて、バカ話をしていられればそれでいい。
 そんな時間はもうそれほど長くは続かない事を頭の隅で理解しながら、航は必死で目を逸らした。
 自転車は家に向かう坂道を下る。この坂道が永遠に続けばいいと思った。航は佑介の裸の肩にしっかりとしがみつく。
 航のシャツが膨らみ、腕と胸元に冷たい風がすり抜けていった。

2006/9 同人誌『Hold off』より