dialogue



ずっと同じ自分でいられると思っていた。信じてた。
こんなにも失い続ける日々が訪れるなんて、あの頃は思ってもみなかった。
一つ一つは些細な喪失だ。でも、それでも確実に何かが削られていく。変わっていく。街並も海も空さえも。
夢は霞み不安だけが現実味を帯びていく日々の中で、ただ一つの思い出だけが色褪せない。鮮やかで胸が痛い。

どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
再会は嬉しいはずなのに、気持ちは沈んでいく。
窓の外は雲しか見えないが、目的地には後三十分とかからないだろう。
故郷に帰る事にあまり感慨はなかった。そこに待っている家族はいない。
空港のせいで街の景色も変わってしまった。昔はなかった高層ビルが濫立した。交通は少し便利にはなったみたいだけれど。
十代の頃、持て余した時間を一緒に過ごした防波堤はなくなり、埋め立てられ商業施設に変わった。幾学形の海岸線。
もう、二人でこの景色を見ても懐かしいなんて言えない。幼い頃に一緒に見た景色とはあまりに違う。記憶まで何か乾いたものに浸蝕されてしまうようで悲しかった。
君は街と共に変わってしまっただろうか。それともあの頃のまま、少し頼りなげだけど真直ぐに生きているのだろうか。
会いたいと知らせを送ったその晩は緊張で眠れなかった。ただ会いたいと告げるだけで手が震えてしまうなんて、まだそんな幼さが自分に残っていた事に驚いた。
メールを送ってほんの数分しか経っていないのに返事がない事を呪ったりした。一時間が経つと、メールが届いていないのではないか、今日はもうパソコンを立ち上げないかも知れないと思い、二時間が経つ頃ようやく、日本とは生活時間がずれている事を思い出した。
翌日、短い返事がきた時の気持ちはどう言い表わしていいのかわからない。
隔てた時間があまりに長くて、嬉しいという感情は不安に押し潰されてしまう。
会いたいと自分から言ったくせに、会って何を話していいのかわからなかった。
一緒にいた頃、他愛ない話をたくさんしたはずだ。毎日毎日、飽きるほど一緒にいてそれでも話す事は後から後から溢れた。君との会話は無意味で何の意義もなく、だからこそ大切だった。
あの頃に戻れるだなんて、そんな虫のいい事は思っていない。
でも会いたい。ずっとそう思っていた。それを告げるのに随分勇気が必要だった。
君にとって再会なんてそれほど重要な事じゃなくて、ただ単に久しぶりに学生の頃の友達と会うのと同じ感覚で、いいよと言ってくれたのかも知れない。
或いは、本当は会いたくないのかも知れない。でも何年ぶりかの帰郷だから、断わり辛かったのかも知れない。
君の新しい生活に、もう過去が入り込む隙間などないのかも知れない。
それとも、君はあの時の別れを本当は恨んでいるだろうか。
最初の別離は子供の頃だった。両親の都合で遠くの街へ引っ越した。
二度目の別れは、自分達の意志だった。
お互いの為だと、二人一緒に嘘をついた。笑って別れた。そのはずだった。
なのに今もあの時の笑顔を思い出すと胸が締めつけられる。別れると決めたのに、不器用な作り笑顔が愛しくて堪らなかった。
何故あの時、別れの言葉を撤回して、目を赤くしている君を抱き締めなかったのだろう。
でも、出来なかった。
何度それを悔やんだだろう。

飛行機は無事、故郷の海を壊した空港へ着いた。手荷物を受け取り、到着口に出る。やたら高い天井、ガラス越しの陽射しが目に痛い。空調は効き過ぎで、捲っていたジャケットの袖を下ろした。
到着口は待ち合わせの人達がぽつぽつといた。幾人かが声をかけあい、どこかに消えていく。
約束の時間は五分過ぎていた。
まだきていないのだろうか。
本当にくるのだろうか。
多分、迷子の子供みたいに心許ない顔できょろきょろとしていたと思う。
ふいに、名前を呼ばれた。
懐かしい声。
声がした方を見ると、君の姿が見えた。
あまり変わっていない。
少し背が低い。真っ黒で少し跳ねてる髪。休日でラフな格好をしているせいか、本当に何も変わっていないように見えた。
君は手を振り、屈託のない笑顔を見せる。
飛行機の中…いや、別れてからまた会いたいとメールを送るまでの数年間、悩んでいた日々がバカバカしくなるくらい、明るい笑み。
身体中の血がざわざわする。
勝手に身体が動く。
大人気なく、夢中で駆け出す。周囲の迷惑顔なんて目に入らなかった。
手にしていたボストンバックが落ちたけれど、どうでも良かった。どうせ着替えと退屈しのぎの文庫本くらいしか入っていない。
駆け寄る姿に驚いたのか、君は目を丸くして、それからまた笑った。
抱き締めると、少し声を詰まらせて君は「バカだな」と言う。
互いの背に腕を回しながら、思いつく限りの悪態を応酬した。
数年ぶりの再会なのに。
涙声になりながら、二人で意味のない言葉ばかりを紡いだ。




※2005年12月…くらいかな? 雑誌掲載のだいぶ後、急に思い立って。