+++昨日みた夢+++

天使だっておなかがへる

「ほんま、おもんない……」
ファーストフード店の二階席で、駿は苛立たしげに携帯をいじりながら、鼻先にくっつきそうなくらい唇を尖らせる。シャープな面立ちで普段は大人っぽく見られがちな駿だが、盛大に拗ねたこの表情はやけに子供っぽい。
「駿ちゃん、もうええ加減にしいや。キヨちゃんかって真剣に考えた結果やん」
おっとりとした調子でそうたしなめたのは、向かいの席に座る朝美だ。一見、同年代のカップルに見えるが、二人の会話に甘い雰囲気など欠片もない。
「うるさい、朝美。あいつが真面目に考えたことくらいわかっとるわ」
唇を尖らせたままさらに頬を膨らませ、駿の整った顔は見る影もなくくずれている。
「わかっとるから……納得いかんのや」
先ほどから指先で弄んでいるストローはもうパキパキに折れ目がついて、残ったジュースを飲もうとすると、空気が漏れて間の抜けた音がした。それと共に、朝美の呆れたため息まで混じるからよけいにむかつく。
彼らにキヨと呼ばれているのは、聖彦という。彼らと共にアクションチームに所属し、遊園地のショーに出演していたスーツアクターだ。
少し頼りないというか天然気味というか、もう二十歳なのになんだか小動物みたいな男で、なのにスーツを着込むと本当に変身してしまうのだ。
カッコいい。いつもそう思って見ていた。癪だから本人に言ったことはないけれど。
「絶対、キヨやったらもっと上目指せんのに」
もう何度、この台詞を吐き出したかわからない。
駿はこの春、高校を卒業する。その後、この道でプロになるために東京の養成所へ入ることに決めた。最終的には特撮ヒーロー番組のスタントになるのが目標だ。
ヒーローショーに出演するのが嫌いだったわけではないが、やはりそれだけでは生活はできない。みんな、アルバイトをしながらなんとか活動しているという状態だ。
そこから、抜け出したかった―――聖彦と一緒に。
駿は、一緒に東京へ行こうと聖彦を誘った。去年の暮れにチームが解散することになったとき、これは転機だと思った。聖彦と一緒なら夢を叶えられる、そう思った。
だが、彼は東京行きを拒んだ。また地元のアクションチームに入り、ショーを続けるのだと。
どうしても理解できなかった。アルバイトをしながらショーに出演なんて、いつまでも続けられるものじゃない。それは聖彦だってわかってるはずなのに。それなら、もっと大きな可能性に賭けたっていいはずなのに。聖彦ならきっと、その夢を掴めるのに。
「駿ちゃん……ほんまは、一人で行くん心細いんやろ。キヨちゃんについてきて欲しいだけちゃうん」
「なっ……何言うてんねや。そんなわけないやろ！　あんな頼りないんおらんでも心細うなんかないし！」
ふん、とわざとらしく鼻を鳴らし、駿は腕組みをしてみせる。
「駿ちゃん、ウソ下手やなぁ」
「は？　何が？　何がウソやって？」
「なぁ……。前に、キヨちゃんのこと童貞やてからこうてたけど、駿ちゃんかて経験ないやろ」
「な、なんやねんいきなり……」
突然の言葉に、駿は言葉に詰まる。困ったことに、瞬時に耳が熱くなった。まずい。これでは、朝美の言葉を肯定しているようなものだ。
「駿ちゃんは、もてるけど長続きせえへんタイプやな。そこまでいく前に振られるんやろ」
わかるわぁ……と、朝美は少し哀れむような表情で駿を見る。その顔に、過去つき合った女の子たちが重なる。がっかりしたような目はいつも、何故かかすかに笑っていた。
「キヨちゃんからこうてるうちに引っ込みつかんようになったんやろ？　別に見栄張らんでええやん。ほら、あの人……キヨちゃんのお友達……玲二さんやったっけ？　言うてたやん、恥じるようなことちゃうって」
「あっ朝美には関係ないやろ！　ちゅうか、なんでそこであのおっさんの名前出てくんねん！　お友達？　あの変なおっさんが？」
「うん。だって、今日も連れてくるて言うてたで」
「き、聞いてへん！　俺は聞いてへんで！」
今日は聖彦と朝美と駿、三人でのささやかな新年会のはずだ。その席で、キャラショーから足を洗ったリーダーへの選別と、結婚出産のお祝いについて相談する予定だった。
なのに、どうして何の関係もないあの男がしゃしゃり出てくるのだ。
苛立ちを抑えられず、ダメだダメだと繰り返す駿に､朝美は肩を竦めながら外を見る。
「そんなん言うても……ほら、もうきはったみたいやで」
窓際の二階席からは、入口がよく見える。聖彦は二人の姿に気づくと、にっこりと笑いながら手を振った。
「おまたせー」
「よう。久し振りだな」
聖彦とともに現れた玲二は、悠然と笑みを浮かべている。前に見たときはスーツ姿だったが、私服だと体格の良さが際立つ。それがいっそう、駿の苛立ちに拍車をかけた。
「玲二さん、今日はご馳走になります」
以前は朝美も彼のことを良く思ってはいなさそうだったのに、今日はちゃっかりと可愛らしい笑顔を見せる。
「おい、なんでおっさんがくるんや。俺は聞いてへんで。キヨ、どういうことやねん！」
「え？　何べんもメール送ってんで？　けど返事ないし、別にかまわへんのかなぁと思て……。玲二さんが一緒やと、あかん？」
メール……確かに、きていた。だけど東京行きを断られてからは、聖彦からのメールを開くのが怖くて、見ないふりをしていた。
「あ、あかんに決まってるやろ！」
叫ぶように言うと、ざわついていた店内が一瞬しんと静まり、駿の視線が集まった。
駿は赤面しながらなんとか怒りを呑み込み、聖彦を睨みつけた。
聖彦は申し訳なさそうに眉を下げ、玲二を見上げる。
うして、そんな悲しそうな顔をするのだ。三人での新年会では不服だというのか。いろいろあったけど、今まで一緒に舞台で戦ってきた仲間なのに。どうしてそこに玲二を呼んだりするのだ。
　むかつく。……むかつく。
「そっか……。駿ちゃんが嫌なんやったらしゃあないな。玲二さん、ごめんなさい。せっかくお肉おごってくれるて言うてたけど……」
「え？　肉？」
「うん。焼肉」
「ああ、国道沿いにでっかい店できただろ。あそこ行ってみようかと思って。好きなだけ食っていいからな」
その言葉に、駿は思わず生唾を呑む。そういえば、焼肉なんて久しく食べていない。高校生になってからは、なんとなく気恥ずかしくて家族と外食なんてしていなかったし、帰宅時間はばらばらだから、自宅で焼肉をすることもなくなっていた。
「肉……」
おかしい。さっきまで怒りで頭の中がふつふつと沸いていたのに。一瞬にして肉の焼ける香ばしいにおいで満たされてしまう。
ぼんやりと『肉かぁ……』とつぶやく駿を見て、玲二が吹き出す。
「な、何がおかしいねん」
「いや……聖彦の言うとおりだなと思って。ほんとに、素直な子だな」
言いながら、玲二は駿の頭をぐりぐりとかきまわす。
「うっさい、触んな！」
素直……聖彦がそう言ったのか。今まで、散々からかったり、年下なのにえらそうにしてきたのに。
「行こ、駿君。玲二さんに東京のこととか訊いたらええやん。これから部屋探したりするんやろ？　玲二さん、相談乗ってくれるって」
「え？」
もしかして、そのために聖彦は玲二を誘ったのだろうか。東京行きを断った聖彦を、散々罵倒して、ひどいことも言ったのに……。
そう思うと、鼻の奥がつんと痛んだ。
「駿ちゃん？　どないしたん？」
タダ飯にご機嫌な朝美が、何もかも見抜いたような表情で顔を覗き込んでくる。
「なんでもない……。おっさん、ほんまにおごりやな？　も、めっちゃ食ったんねん。一番高い肉頼むからな！」
「任せとけ」
わざとらしく胸を叩いてみせる玲二が頼もしく見えたのは、肉マジックだ。肉につられただけだ。一瞬でも、頼れる兄貴のようだと思ってしまったのは……錯覚だ。
ファーストフード店を出ると、すっかり陽は暮れ、空の暗さを見た途端、腹が空いてきた。
玲二の車に乗り込むとき、油断したせいか、キュルリと腹が鳴る。また顔を赤くする駿を見て見ぬふりで、玲二は車を出した。
悔しいけど……少しだけ、聖彦が玲二とつるんでいるわけが、わかったような気がした。

ＥＮＤ

2009/1　イベントで配付したペーパーにつけたおまけSS