ゼンマイ仕掛けの少年






ビスクの肌、木枠の身体。飴色の瞳は空洞の吹き硝子。死んだ少女からもらった髪は細くて栗色。夏の星座を刺繍した紺色の衣装。 僕はあの子の為の自動人形(オートマタン)。


「クラルテ?」
男は足を止め、僕をそう呼んだ。
黒髪を一つに結わえ、伽羅色の中国風の衣装を着ている。武神のように立派な体躯のその人は驚きに目を見張り、僕の事をつくづくと眺めた。
大きな手が髪をそっと撫で、指先が項に触れる。それからゆっくりと息をつき、もう一度僕の顔を覗き込む。
「……こんな遠い、西洋の地で再会できるとは」
溜め息と共に吐き出された声は優しい。精悍な目鼻立ちは威圧的な印象だったが、僕を見つめる表情は柔らかく、藍色の瞳は魅入ってしまうほど深く澄んでいた。
「クラルテ、どうして……」
男が何を問おうとしているのか見当もつかず、僕はただその姿を硝子の瞳に映しているだけだった。
僕は骨董街の路地裏にある、小さなみすぼらしい店に置かれた人形だった。
郭公時計が出鱈目な時を告げ、猫足テーブルには顎の外れた胡桃割り人形と、ビショップが片方足りないチェスが埃を被っている。
その隣で、僕は赤い皮革張りの椅子に座っていた。
男は飽かず僕の事を眺め、クラルテと呼ぶ。その声は寂しそうで、何か応えてあげたかったけれど、僕の唇は薄く微笑む形のまま、動く事はない。
男は焦れたように僕の肩を揺さぶり、切なげに眉を曇らせて問いかける。
「わからないか? エンイだ、覚えていないか? 俺は……」
「旦那、その子は売らないよ」
エンイと名乗った男の言葉を遮ったのは、店主のおじいさんだ。古ぼけた品物に埋もれながら肘掛け椅子に座り、胡乱げにエンイを見ている。
おじいさんは、いつもそうだ。たまにお客さんがきても、無愛想にして品物を売ろうとしない。
エンイはおじいさんに向き直り、少し強い語調で言う。
「いや、是が非でも買い戻させてもらう」
「買い戻すだと?」
また始まった……僕はそう思った。おじいさんはお店の骨董品に語りかける時は優しいのに、お客さんには意地悪を言って追い返そうとする。
この人もすぐに帰ってしまうのか……そう思うとお腹の中の部品がキシキシと鳴る。まるで長い間油を注してもらってないみたいに、痛くて苦しい。
「そうだ。この子は、俺のものだ。長い間捜していた」
俺のもの? 捜していた?
さっきも、確か買い戻すと言っていた。
普段とは違うやりとりに、僕は戸惑いながら二人の会話に耳を傾けた。
「ふん、そんな証拠がどこにあるんだね」
「これ……これは俺が書いた」
エンイは僕の髪を優しく払い、項を露出させる。さっき、何度も撫でていた場所だ。
「この子と出会った日に俺が書いた。まだ子供の頃だ」
おじいさんは眼鏡を押し上げ、僕の後方に回ってエンイと同じように僕の項に触れた。そして、何か思案するように低く唸った。
僕の項に何が書かれているというのだろう……知りたかったけれど、それを伝える術はない。僕は、物言わぬ人形なんだから。
「この子を連れて帰りたいんだが」
「……いくら出せるかね?」
エンイは懐から分厚いお金の束を出す。
「足りない分は後ほど届けさせる。だからその子を…クラルテを返してくれ」
「よしとくれ。店ごと買い取るつもりかい?」
不機嫌な声で言い、おじいさんはエンイから顔を背け、いつものように僕に話しかける。
「お前、この男と一緒に行くかい?」
おじいさんはそう問いかけ、じっと僕の顔を覗き込む。
僕はどうすればいいのかわからなかった。
おじいさんとお別れするのは寂しい。でも、エンイが自分を求めている事が嬉しいような気もした。僕はお店の商品だから、いつまでもここに座っているよりも、買われていく方がいいに決まってる。
彼に買われ、彼のものになる……。不思議と、それを怖いとは思わなかった。僕に触れる手は、とても優しくて温かかったから。
やがておじいさんは深い息をついた後、エンイに向き直り慎重な声で訊ねた。
「旦那、この子を本当に大切にできるか。手放したりしないと誓えるか?」
「ああ……もちろんだ」
おじいさんはエンイが出したお金の束から数枚を抜き取り、残りを突き返した。それから、怪訝そうにしているエンイに何か耳打ちする。
エンイはしばらく僕を見つめた後、ゆっくりと頷いて見せた。
商談が成立したようだ。
おじいさんは、元気でと言って僕を抱き寄せる。ああ、おじいさんともこの店ともお別れなのだ。
ありがとうとさよならを伝えたかったけれど、僕は一人では手を振る事もままならない。
もどかしく思っていると、お腹の中でゼンマイが動き、歯車が回り始める。おじいさんが背中のネジを巻いたのだろう。
空洞の身体の中で仕掛けが横笛を口元にまで引き上げ、僕は久しぶりに演奏をした。
店の中に、笛の音が高く低く響く。懐かしい音階を辿っていると、目の前にいるエンイとおじいさんの顔が滲んで見えた。
ゆっくりと笛を膝の上に戻すと、エンイは僕の頬を両手で包み、優しい声で囁く。
「さぁ帰ろう、クラルテ」
帰る……。わけがわからなくて、僕はくるりと瞳を回し、少しだけ首を傾けた。
それを見るとエンイは、嬉しそうに笑って僕の手を握り締めた。