ゼンマイ仕掛けの少年



エンイの国はずいぶん遠いようだ。
夜行列車に揺られて夜を過ごし、幾つも列車を乗り継いだ。目紛しく変わる車窓の景色と同じように、僕の気持ちは新しい生活への不安と期待に揺れ動いた。
僕の不安を察してか、エンイは時折、今どの辺りを走っているか、後どれくらいで着くかを教えてくれ、疲れていないかと気遣ってくれた。
終着駅で迎えの車に乗り込み、賑々しい市街地を抜けてしばらく走ると、ようやくエンイの屋敷に着いた。
森みたいな庭を通り過ぎ、幾何学模様の彫りが施された扉を開くと、幾人かの使用人が出迎え、皆同じ角度でお辞儀をした。
エンイは彼らに下がるように言い、僕を抱きかかえて廊下を歩いた。
壁沿いには翡翠細工や花鳥舞う絵画が左右対象に配され、それらは鏡のように磨き立てられた廊下に映り込み、眺めていると目眩がする。
「どうした、疲れたか?」
柔らかい声が耳元で聞こえ、コトリと胸の中で音がする。肌の上をそっと滑るような声音に、くすぐったくて逃げ出したいような、もっとその微かな感触を味わっていたいような、不思議な気持ちになる。
コの字型の中庭を渡り、その先の部屋に入ると、僕は壁際の長椅子の上に下ろされた。丸窓からは花梨の梢が覗いている。
「クラルテ、この部屋を使うといい」
エンイは僕の隣に腰を下ろし、目を細めながら話しかける。
この人は、どうしてこんな目で僕を見るのだろう。おじいさんはいつも優しく僕を見つめていたけれど、それとは全然違う。熱の籠った視線を受けていると、溶けてしまいそうで少し、怖い。
「クラルテ、また会えて良かった……」
エンイはそう言って僕をそっと抱き寄せた。僕はエンイの胸に顔を埋めるような格好になる。
彼は涼しげな表情をしていたが、思いのほか鼓動は早かった。
「長い間捜したんだよ…クラルテ。いくら手を尽くしても見つからなかったのに、まさか商用で訪れた地で偶然会えるなんて……」
エンイは僕の硝子の瞳を覗き込み、クラルテ、クラルテと呼びながら、額と頬に口づける。
それから少し迷うような手つきで、僕の襟元からタイを引き抜き、シャツのボタンを一つ外した。
指先が喉に触れ、鎖骨をなぞる。僕の顔を見つめながら、気遣うような優しい仕草だった。
「……あ…」
二つ目のボタンがはずれシャツの中にエンイの手が侵入すると、体の奥から押し出されるように唇から音が零れる。
僕はその事にびっくりして、空っぽのお腹の中でキュルキュルとゼンマイが軋んだ。痛くて怖くて、僕はエンイの腕にしがみついた。
ネジを巻かれたわけでもないのに、身体が勝手に動く。
「どうして……」
僕の身体はどうなってしまったのだろう。
怖がらなくていい、クラルテ……」
僕の戸惑いを察したように、僕の頬を包む。
「お前はもう、人形じゃない」
「人形…じゃない?」
「そうだ。お前が人間の姿であの店にいるのを見た時は、本当に驚いた」
人間? 僕は、自動人形なのに。
「ちが…う……僕は……人形」
喉の奥が震え、小さく言葉が迸る。思っていた事がそのまま声になって発せられた事に僕はとても驚いた。なのにエンイは微笑み、優しく僕の髪を撫でる。
「君は生きている、人間の男の子だよ。ほら、肌はこんなに温かい……」
そう言ってエンイは僕の手に手を重ね、胸元に滑らせる。硬いビスクのはずの僕の肌は、柔らかく熱を持っていた。
「でも……どうして、僕、どうして……」
不安をどう言葉に表せばいいのか、わからない。
エンイは何もかもわかったような表情で、僕の唇に指先を這わせ、そっと顎を持ち上げた。濡れたまなざしで見つめられ、頬が熱くなる。
「クラルテ、目を閉じて」
「な…に? あ……」
言われるまま目を伏せると、唇に柔らかい熱を感じた。それは何度も離れては押しつけられ、徐々に深く重なっていく。
唇の間に濡れた感触が忍び入り、口腔を探るように蠢く。まるで頭の中まで舐められているようで、思考はぼんやりと翳み何も考えられない。手足の先まで痺れ、ずっと握り締めていた横笛が手のひらを離れ床に滑り落ちる。
「んっ……待って、苦し……」
「ほら、人形なら、呼吸をする必要もない」
ようやく唇を解放され、息を喘がせていると、エンイはそう言って少し微笑む。それから横笛を拾って長椅子に置き、もう一度軽く唇に触れる。
呼吸が整うのも待たず、エンイは僕を抱き上げ、寝台の上に座らせた。
それから、僕のジャケットを脱がし、シャツのボタンを外していく。着替えをさせられるのかと彼の手の行方を見つめていると、指先は肌の上を滑り、胸元の突起を撫でた。
唇がそこに触れ、濡れた舌先が掠める。途端、身体の芯に熱い何かが走るのを感じた。
「何? ……何をするの?」
僕は驚いて思わず後退り、上擦った声を上げた。
「クラルテ、怯えさせてすまない。あの店の店主が、記憶を取り戻すにはこうして可愛がればいいと言っていた。だが、辛いなら無理強いはしない。もっと時間をかけて思い出してくれれば……」
戸惑いを含んだ声でエンイは言い、気遣うように優しく僕の手を握った。
「…おじいさんが……?」
「クラルテを愛しているなら、こうして抱けばいいと教えられた。それで、お前の望みがすべて叶うと……」
「僕の、望み……」
繰り返すと、エンイは深く頷いて僕を腕の中に抱く。
「ああ、そうだ。お前は、何を望んでいる? 俺にできる事ならなんでもしてやる」
「わからない……でも、思い出したい」
自分が何を望んだのか。どうして僕の身体はいつの間にか人形でなくなったのか。
「こうしてあなたに触ってもらって、思い出せるなら……そうして。僕、もう逃げないから」
僕を捜してくれていたというエンイの事、彼のそばにいると身体の中で何かがざわざわして、止まらない理由を……知りたい。
「クラルテ……」
呟いたエンイはもう一度羽根のような軽いキスをして、それから唇は顎を伝い、首筋をなぞる。一見無骨に見える彼の手は、繊細な動きで僕の肌の上を滑り、それを追うように唇を落とす。
「んっ、ん……なんか、お腹…熱い」
「ここか?」
エンイは僕のお腹を擦りながら訊ねる。でもそう言われても、どこがどう、とは応え難い。身体の奥が疼いて、じっとしていられなくて僕は身を捩る。
「う…ん……わかん…な…。ひ、あっ……」
おへそを舐められ、高い声が喉から迸る。
「熱いのは、腹じゃなくて…ここだろう」
「え? ……あっ、や……」
エンイは僕のズボンを下ろし、下着の上からそこに触れた。確かにそこは熱を持ち、軽く手を添えられただけでひくんとお腹が震える。
「や…そこ、なんかズキズキする……何……?」
真剣に訴えているのに、エンイは目を細め笑っている。
「自分で、確かめてごらん」
エンイの手に導かれるまま触れた箇所は、熱を持ち頭をもたげていた。桃色の先端からは透明な雫が溢れて伝い落ちる。
これまではただ印程度についてるだけでなんの感覚もなかったそれは、今はエンイの視線が注がれるだけで疼くような甘い痛みが走る。
「ここも、ちゃんと人間の男の子だ」
「……あっ!」
直に触れられると、強すぎる刺激に瞳が潤み、雫が頬を流れた。逃れようにも長い腕に搦め取られ、身じろぎするのがやっとだ。
大きな手のひらは張り詰めた僕の肉茎を、強く弱く、間断なく刺激する。
「うぅ、や……僕、どう…なって…」
「不安がらなくていい、生身の身体ならごく普通の反応だよ」
エンイは掌で包んでいた僕の性器に唇をつけ、滴る雫を舐め取る。そのまま、唇の中に導かれた。
「あ、あ……んっ! でも、待っ…」
温かく濡れた口腔に包まれ、喉の奥から短く鋭い声が抑えようもなく零れる。見えないのに、舌先が蠢く感触が微細に伝わってくる。
「あ…ん…ああっ」
熱くて、溶けて壊れてしまいそう。
「……待って、なんだか……頭がぼーっとして、身体中熱くて、変……」
「変じゃない。気持ち良くなると、そうなるんだよ。怖い事じゃない……」
エンイは吐息交じりにそう言うと、再び深く咥え、濡れた音を立てて啜る。
「……っう、でも、い…っや、放して、なんか……出る……っ」
言葉も半ばに、堪え切れずに熱い液体が迸る。自らの意思では留めようもなく、それはエンイの口腔に注がれた。
エンイは躊躇う素振りもなくそれを嚥下した後、僕を愛おしげに抱き締める。
僕の下肢はまだ震えたまま、手足は弛緩し言う事を聞かない。
人間の身体というのは、こんなに思い通りにならないものなのか……。
横たわったままの僕の身体を、エンイは子細に確認するように撫で回した。そのぬくもりが、肌の上に一つ一つ火を点す。
恐れも戸惑いも、もう感じなかった。エンイの優しい仕草は心地好い。まだよく思い出せないけれど、僕は確かに、この温もりを知っている。
「……はっ、あ……」
唇から零れた声は甘く掠れ、指先は知らずエンイの腕に縋る。
そんな僕を、エンイは気遣わしげな瞳で見下ろした。
「な…に? どうしたの……」
「クラルテ、本当にいいんだな?」
「ん……」
わけもわからないまま、僕はエンイの問いかけに頷いた。彼に身を任せている事に、なんの疑問も感じない。
エンイは僕の額に口づけた後、自らも衣服を脱ぎ去った。するりと軽い音を立てて布地が床に落ちる。
露になったエンイの肉体にうろたえ、僕は視線を泳がせた。
広い肩や隆起した胸元は力強く逞しいのに、どうして僕に触れる指先の動きはあんなに柔らかいのだろう……。
そう思いながら見つめていると、締まった腹の下の翳りまでもが目に入り、僕は直視できずに目をきゅっと閉じた。
熱く湿った吐息が僕の項にかかり、それは少しずつ下の方へ移動していく。
「ふ、ぁ……あ、あっ……」
愛撫の手は止まず、瞼に遮られた暗闇は感覚を鋭くさせる。目を閉じていても、エンイの動作が生々しく伝わってくる。
手のひらは腿を撫で、ゆっくりと後ろに回り膨らみをやんわりと掴む。僕の反応を確かめるようにエンイの手は幾度も行ききし、おもむろに脚を持ち上げ、その箇所を開いた。
窄まりに温かく濡れたものが触れる。それが舌先だとわかると、僕は急に抵抗を感じ身を捩った。
「んっ、やっ! やぁ……っ!」
口を突いて出る言葉とは裏腹に声は濡れ、僕の幼い性器は再び硬く充血を始める。
「可愛い声だ……クラルテ」
「は…っん、やぁ……」
敏感な箇所に息がかかり、僕はいやいやをするように首を振る。
「クラルテ、恥ずかしいのか?」
「わかん…ない……。嫌じゃないけど、嫌なの……」
「少し我慢して」
エンイは穏やかに諭すように言い、お腹と胸元、それから頬に口づけをくれた。
「ん……」
頷くと、ふいに甘い香りを感じた。次の瞬間、ぬるりと濡れた指がお尻の間に差し入れされる。
「や…ぁっ……あぅ」
最初は抵抗を感じたものの、ゆるゆると抜き差しされる刺激に、すぐに蕩かされてしまう。
エンイの指で身体の中を掻き回され、夢中でその感覚を追いかけた。
「あ、ん……んぅう…」
指が抜き取られ名残惜しく腰を揺すっていると、同じ場所に今度はもっと硬くて太いものがあてがわれた。
一瞬の迷いの後、それは深く僕の中に穿たれる。
その質量に驚き、僕はエンイの背中にしがみついた。痛みは感じなかったけれど、身体を内側から圧迫され、未知の感覚に混乱する。
「……っ! ひぁ、いや、やぁ……」
[クラルテ……目を開けて」
「ん、ん……」
瞼を開くと、雫が頬に流れた。それをエンイは舐め取り、じっと僕の瞳を覗き込む。
深い深い紺碧の瞳。汗ばんだ額にはらりと乱れる黒髪……この人の身体の一部が、僕の中に入っている。
それは、不思議な感覚だった。
ずっと、こうして触れ合う事を夢見ていたような気がする。
「……エン……イ」
初めて、僕は彼の名を口にした。その響きは懐かしく胸を締めつける。
「思い出した…のか?」
エンイの言葉に応えなければ……そう思い、僕は彼の首に腕を巻きつけ項に鼻を擦りつける。
黒髪に染みついた微かな香…この香りを感じたのはもう何年前になるのだろう……。
「この…部屋……」
エンイの肩ごしに見える黒い梁には、見覚えがあるような気がする。ゆっくりと視線を巡らし、部屋の中を眺めた。壁の色も丸窓から差し込む光も、何もかもが懐かしい。
「僕は……ここにいた…んだよね……?」
そう呟くと、エンイは深い息を漏らし、頷いた。
「ああ、そうだよ。留守がちだった両親が、俺が寂しがらないようにと、六つの誕生日に笛吹きの人形を贈ってくれた。それがお前だ。クラルテと名づけて、とても大切にしていた」
二十年以上も前の話だ、とエンイは言う。
「お前は昔この部屋で、俺の為に横笛を吹いてくれた」
ちらりと長椅子に置かれたままの笛に目をやり、エンイは微笑む。
「子供の頃、毎日お前に話しかけていた。返事がないのはわかっていた。でも、声は届いていると信じていた……」
「あ……」
エンイの言葉に、鮮やかによみがえるのは、小さな男の子の声だった。
『クラルテ…僕の大好きなクラルテ。君が人間だったらどんなにいいか』
可愛らしい声で僕に囁きかける男の子の姿がエンイに重なる。黒髪と深く澄んだ青い瞳が印象的な、いつも寂しげにしていた少年。
僕に優しく話しかけ、そっと口づけをくれた。
「あなたは……あの、エンイ? エンイなの?」
「そうだ。そうだよ、クラルテ」
「エンイ……あんなに小さかったのに……こんなに立派になっているなんて」
そう言うと、エンイはくすぐったそうに笑う。
「エンイ……会いたかった」
この項に刻まれているのは、エンイの名前だったのだ。幼いエンイが刻んだ所有の証……。
「ずっと手元に置いて大切にしたいと思っていた。……でもお前は、嵐の晩にいなくなった」
「ん……ごめんね…黙っていなくなって」
「謝らなくていい、クラルテ。こうして、お前は戻ってきたんだから……」
エンイの唇が僕の鼻先に軽く触れ、指先がそっと髪を梳く。
身体を番えたまま言葉を交わすのはおかしな感じだった。エンイの声が身体の奥から響いてくる。
「うん……あのね……嵐の夜、おじいさんの声が聞こえたんだ。人間にしてやるって……」
どうしても人間になりたかった僕は、おじいさんに連れられ、一緒に遠い国に行った。
「でも、人間になるには、僕の一番大切なものを、差し出さなければいけなかったんだ」
エンイとの思い出を……。
だから人間の身体を得ても、エンイの元に戻る事もできず、自分はまだ人形だと思い込んだまま、おじいさんと一緒に暮らしていた。
「愛する人と結ばれた時、全ての記憶が甦る、僕の望みが叶うって……そのおじいさんの言葉を信じて…待ってたんだ……」
「そうか……ずいぶん長い間、待たせたな……」
苦しげに眉を寄せるエンイを安心させようと首を横に振り、僕は微笑む。
「エンイ……僕ね、ずっとこうして、エンイとお話したかったの」
僕は広い背中に手を回し、そっと撫でた。エンイは荒い息を吐き、抱き締める腕の力を強める。
「エンイにこうして触れて、キスしたかったの……」
そう言うと、唇が重なった。優しく、深く絡まる温かい感触。
幸せだった。
ようやく、願いが叶ったのだ。
「僕は……ちゃ…んと普通の人間に…見える?」
「ああ、どこからどう見ても……人間の男の子だよ。でも、普通だとは言い難いな……」
「……え?」
不安になって聞き返すと、照れたように目を細め、エンイは答える。
「特別に可愛いよ、クラルテは……」
その言葉に、急に頬が火照る。
「何…言って……」
身体中がふわふわと心許なく舞い上がるような感覚に、僕は戸惑いエンイを軽く睨んだ。
「いや、何度でも言う。可愛いクラルテ……」
愛してる、そう呟いてエンイはもう何度目かの口づけをくれる。
エンイは僕をしっかりと抱き締めたまま、慎重に結合を深くした。胸が擦れ合い、大きな手は僕の昂りをしごき上げる。
「は…っ、んんっ、あん……っ!」
僕は眦から涙を零し、口腔を蠢く舌を舌で追いかけ、絡ませた。唾液が溢れ、顎が濡れる。
中を擦られ突き上げられる度、生身の肉体を得たのだと実感する。僕のそこは無意識にきゅうと収縮し、エンイを締めつける。
「あぁ…んっ、エン…イ、好き……ずっと、一緒に…いてね、エンイ……」
「ああ、もう、離さないよ……クラルテ、愛してる……」
その声を深い陶酔の中で聞きながら、僕はエンイの熱い精を受けた。
僕の身体はもう空洞じゃない。冷たく硬いビスクでもない。ネジを回してもらわなくてもエンイに笛を聴かせてあげられる。
指先まで血液が巡り、今まで身体の中で軋んでいたゼンマイの音は、とくとくと鳴る鼓動に変わった。
僕は、エンイの言葉と口づけに応える為に、人間になったのだ。
                             

2007/9 同人誌『ゼンマイ仕掛けの少年』より